「死にたい」と呟くくらいなら殺してやろうぜ!「死にたい」→「死ね」変換のススメ

こんにちは、行しろ(@yukishiro227)です。

ニュースで聞いた話。

SNSで「死にたい」と言ってるけれど、いざ生死に関わる場面になるとみんな「死にたくない」と言う。

Twitterとかで「死にたい」って言ってしまうことってありますよね。要するにこれはつらい状態から解放されたいとか、そういう気持ちが上手く言えない。だから「死にたい」という言葉になって出てくるわけです。

この話で、私が生み出したライフハックを思い出しましたので、共有します。

気持ちを外に出したい。でも「死にたい」は内向きの言葉

弱音を吐いたり、愚痴を言ったりして自分の感情を外に吐き出すことは精神衛生にとても良いことだそうですね。

そういう用途に使うには「死にたい」って内向きすぎる言葉じゃないでしょうか。

「死にたい」と呟くことで行き場のない感情の出口を見つけたような気になれますけれども。

攻撃性として吐き出す場合。自分を攻撃しちゃってますね。

深く掘り下げる場合。自分の悪いところやネガティブな感情ばっかり引き出してしまいますね。

「死にたい」は基本的に生きたがる生命としての本能とも相反する言葉なので、摩耗してしまいますね。

「死ぬ」は「自分」と密接にか関わる最もネガティブな言葉。

だから感情を吐き出そうとして「死にたい」と呟いても、結局自分のもとに帰ってきてしまうんです。

被害者になることに慣れてしまう

悲劇のヒロイン気取りも時にはいいですけど。それに慣れてしまってはいけない。

悲劇のヒロインになることに慣れてしまうということは、辛い状態に自分で固定してしまうことに繋がります。

逃げてもいい。戦ってもいい。助けを求めてもいい。なのに耐え忍ぶ選択肢しか見えなくなってしまうんです。

あと耐え忍ぶモードに入った人を狙う悪い人も当然居ますよね。

逃げたり戦ったり助けを求めたりされないので、悪人的には当然楽ちんです。

何で私が死ななきゃいけないの?

学校が辛い。仕事が辛い。どうして私ばっかり。

そんなことを思ってTwitterに「死にたい」と呟くようなこと、私もありました。

でもある時ふと思いました。

「何で私が死ななきゃいけないの?」

辛い目に合ってるのにその上でなんで死んでやらなきゃいけないんだ。ふざけんな。悪いのは私じゃないから死んでやる義理はない。お前が死ね🔪🔪🔪

「死にたい」を「死ね」「殺す」に換えよう

いきなり「死にたい」って言うなって言われても、上手く自分の感情を表現する言葉に置き換えられませんよね。

じゃあ「死ね」に換えよう。もしくは「殺す」に換えよう。

SNSでくらい「死にたい」と言って自分を攻撃するのはやめて、自分を辛い目に合わせている物事に攻撃しましょう。

どうせ被害者ぶったって今の世の中大して心配もされないんだから1人でスッキリできる発言をしてやろうぜ。

「死にたい」と呟くとほんとエネルギーが減っていくけれど、「死ね」「殺す」と呟くと攻撃的なエネルギーが湧いてきます。

SNSは自分を好きに表現できるんだから、その中でくらい強気でいようじゃないか。

スッキリするし。強気な人には半端な悪党は近づいてこないし。リアルの自分も強気になってくるし。一石何鳥だよおい。

具体的なことは書かない

あくまでSNSに書くので問題を防ぐために具体的なことを書くのは止めましょう。

具体的なことまで書きたいのであればオフラインの日記帳に書きなされ。

壁に耳あり障子に目あり。

周りの人を傷つけないために

フォロワーさんを傷つけてしまうのではないか。そう思う優しいメンヘラちゃんも多くいると思います。

その考えに至る人は人を傷つけたりしないから大丈夫だよ。

気になるなら愚痴用のアカウントを作ったらいいと思います。

初めから自分を責めるより効率的

初めから

「私のここが悪かった」

とか思い悩んでると「結局自分はダメ人間だ」とかいう考えに落ち付いてしまいます。

「あいつが悪い!死ね!」「こいつのせいだ!殺す!」

とか散々一人で怒ってから

「でも自分もあそこが悪かったよな。あそこを治せばもっと上手くいくかも!」

という考えに至るのが一番効率的。

まとめ

このメソッドを始めてから、抜け出せない落ち込みみたいなものは減りました。

「死にたい」とか言って自分ばっかり責めてる人はもうちょっとくらいわがままになって周りを責めてもいいんだぜ。SNSでくらいはな。